医 療 法 人 順 秀 会
基 本 理 念

己のためではなく、他人のために生きること、それが医の本業である。

医療法人順秀会 理事長
加藤 秀平

クリストフ・ ウィルヘルム・フーフェランドの医戒(医の戒め)に由来しています。

これこそは順秀会創設以来一貫した「崇高なる理念」であり、全ての原点であります。
順秀会を運営して行く上で この「理念」を堅持することは、私、理事長一個人の決意にとどまらず、この「理念」の下では、院内の規律や秩序に始まり、医療指針に至るまで、整然と必然性をもって具現化されねばなりません。

又、それはただ単に医学書に羅列された事実が重要なのではなく、医療に携わる喜怒哀楽のある「人間」が、喜怒哀楽のある「人間」を診察し治療する際に生じる種々の感情を、如何に律する”心”を持つかが大切である、とも言えます。

特に人間同士の「心」通い合う自己表現技術において、思考と行動との間には洗練された物腰という広い領域が存在することを医療人は十分認識することが肝要と考えます。

従来聖域とされていた医療を取り巻く環境が、インターネットによる膨大かつ曖昧な情報に奔騰されながら、時として価値観までもが急激に変化しています。人間は大きな変化を潜在的に恐怖と感じます。
しかし、時に革命が起こることは人類をより健全な方向へ導いて来た歴史が証明しています。

その革新的変化を如何に乗り越えることが出来るか否かは、知識や経験、能力の有無ではありません。
社会を構成している人々の間に人間味溢れる温血「心」による相互理解があることが最も大切です。

有史以来、人間は対立と融和を繰り返しながら、ルールやマナーをその都度変えて適応し成長してきました。
現代社会の政治や経済が絶えず変化し、それにより医療までもが変質しようとも、全ての人間が平等に享受され得るmanners(マナー)を形成せねばなりません。
宗教や政治経済が、幾ら人為的且つ作為的な理論を展開し人々に押しつけようとも温血”心”は決してそれを甘受することなく、その結果「良い方向へ改革」は進まないと確信します。

過去に人は身体の解剖学的基本構造が進化せず野蛮なままであるにも拘わらず、未開人に対し文明人であることを自己賛美し、その道徳感を押し付けそれを正当化してきました。

次に人類はアナログ文明からデジタル文明へ急速に変遷しようとした今、かつての野蛮や未開の持つ逞しさや自由性への憧れから、鷹揚な道徳性への回帰が生じ始め、もはや文明の乖離ともいえる現状です。

そんな混沌とした渦中にあって、慎み深い日本人の「心」が文化的同一性をもって普遍的な姿勢を貫くことができる 「礎(いしずえ)」こそ、お互いを思い遣ることの出来る人間味溢れる温かい「心」であることは明白です。

その「心」こそが医療に欠くべからざる職業倫理的「心」であり、それこそ医戒による「崇高なる理念」なくしては断じて存在しえません。

換言するならば、この「理念」とも言うべきものこそが、決して失われてはならない順秀会の「本質」であり温血「心」であると言えるのです。

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